私はwall・the・eppes。

エプス家の壁だ。

◇◇◇私はになりたい◇◇◇

皆さん初めまして。

私の名前はwall・the・eppes。

直訳すると「壁・エプス」だ。

ここで大抵の人は「はぁ?」と思うだろう。

その感想で間違いはない。正常な感覚であるからして今後とも大切にしてほしいと心より願う。

しかし勘の鋭い何名かの方は「えっ…壁? 壁になってドンとチャーリーを見守る系?」とこの話の本質に気付くだろう。
端的に言うとその通りだ。

けれど私は心配している。

世の中には時々「壁になって推しを見守りたいナァ」「推し同士のイチャイチャを見届けたいナァ」といった類の発言があると聞くが、本当に「壁」視点の話は求められているのだろうかと。

壁になりたいというのはあくまでも比喩的な表現であって、本当に壁が詳細を語り出すというのはきっと想像されていることとは違うだろう。

リアルに想像した方からは「ホラーじゃないか!」「プライバシーの侵害じゃあないか!」という突っ込みがあってもおかしくはない。

しかしあえて弁明させて頂くならば、我々壁一同は誰かを怖がらせるつもりもなく、公の場で恥ずかしがらせるつもりもない。

何よりも家主を尊重するのが当たり前であるからして、家族である彼等を辱めに合わせるつもりなどは微塵もないのだ。

具体的に言うと、「これは見たらまずいな」と思う場面に遭遇したらきちんと目を瞑っている。

ベッドルーム・バスルーム等、プライベートな空間に立ち入ることも無い。

音を立てることも会話をすることもできないが、一生分くらいの力を振り絞れば、「ピシッ」とか「パキッ」とかいう家鳴りを起こすことはできる。

しかしこれもラップ音という心霊現象に間違われることが多く、ただ疲れる上に家主を驚かせるという最悪の結果を生むため、我々の間では極力使用しないことになっている。

要は私たちは何も出来ないのだ。
だから安心して聞いてほしい。世の中の「壁になりたい」諸君よ。

「チャーリー」

玄関の扉を開くと共に、この家の長男である彼が姿を現した。

ドン・エプス。本名はドナルドなのだが皆例外無くドンと呼ぶ。

彼が外からやって来る時の特徴は分かりやすい。大抵の場合、「Hey」と言うか「チャーリー」と言うかのどちらかだ。

後者の場合はサングラスを掛けていることも多い。服装はスーツだ。仕事中なのだろうと思うのだが、私は外界のことに詳しくないので、彼が外で何をしているのかはよく分からない。

廊下に置かれている振り子時計を見てみると、夜の7時過ぎだ。
仕事が終わったのか、それとも途中で立ち寄ったのかは定かではない。

昔は夜寝て朝起きるという分かりやすい生活スタイルだったはずなのだが、FBIとかいう仕事に就いてからは、彼の行動範囲は私の理解の範疇を超えてしまった。
今帰って来たと思ったら、またすぐに携帯が鳴って玄関から出て行ってしまうことも多い。

他の家の人々のことは知らないが、彼は「忙しい」と言われる部類に入るのだろうと思う。
幼い頃から彼を見ていた私にとっては、その成長は嬉しくもあるが寂しくもある。
雛鳥ひなどりが親鳥を超える瞬間を見ているとでも言うべきなのだろうか。
無論私は親でもないし鳥でもないわけなのだが。

「ドン」

振り向いてみると、弾けるような笑顔でチャーリーがボールペンをテーブルの上に置いた。
少し転がったそれがフルーツの乗った大皿に当たって止まる。

しかしチャーリーはそのことを気にも留めずに、流れるような所作で椅子を引いてドンの元へと向かった。
先程まで懸命に書き留めていた何かは、机の上に散らばったままだ。

そう。黙っていたが先程からチャーリーはずっと私の後ろに居たのだ。
ダイニングテーブルで一心不乱に何かを書き続けていたので、例のごとく空気と化していただけで。

何を書いているのだろうと何度か目を凝らしてみたものの、ここからでは一定の距離があるため、「報告書」とかいう大きめの文字しか見ることができない。

人間界で言うところの眼鏡が手に入らないのが惜しいところだ。
最も、手に入ったところでそれを掛けられるかどうかはまた別の問題が発生してくるわけではあるが。

「もう終わったのか?」

「うん。こっちで書いてた。もう出来てるよ」

私が机の上のそれに注視している間に、2人が廊下を抜けてこちらへ戻って来た。

天井に近い位置から全体を見ているため、スパイダーマンのようになった体の下を突然通り抜けられる時にはいつも驚いてしまう。

彼等は私が見ていることを知ったら驚くであろうが、こちらもそれなりに驚いているということは伝えておきたい。

ドンはチャーリーに導かれるがままテーブルにやって来て、サングラスを外して胸元のポケットに入れた。
そうして机に手を置き、書類を見降ろすように確認している。

彼は紙しか見ていないので気付かないだろうが、この位置から2人を眺めている私には分かる。弟をまるで視界に入れていないドンとは対照的に、チャーリーは兄以外何も視界に入っていないといった様子で彼を見ている。

ドンの一挙手一投足に注目し、すべてを見逃すまいとしているチャーリーの試みは幼い頃から変わらない。実に健気であると思う。それらがほぼ全てドンにスルーされていることも含めて。

「…これで問題ない。いつも悪いな」

「う!? ううん。楽勝だよ」

突然微笑まれたことに驚いたのか、チャーリーの肩が跳ねた。
う!? のところが上擦り、いつもより少し高い声が出る。

ドンはそんな彼を見て少し笑うと、「俺に緊張するなよ」と冗談めいた口調で揶揄やゆした。
そうして、伸ばした左手でチャーリーの頭をわしゃわしゃと撫でる。

そういうところだぞ。私は思った。

見てみろ、チャーリーの頬を。
耳まで真っ赤じゃないか。

どうにも、このドンという人物は無意識のうちに弟をたぶらかしてしまう癖があるらしい。
そしてそれに自分では気付いていないのだ。

潤んだ目で俯いている弟をもっと見てやってくれ、と思う。
そして褒めてやってくれ。
私が知る限りでは、チャーリーは2時間以上前からその書類と格闘していたのだから。

しかしドンは私のそんな心情をよそに、彼から手を離すと平然とキッチンへと向かってしまった。

姿が見えなくなるとチャーリーが幾分しょんぼりするようにも見えるし、緊張が少し解けたようにも見える。

難儀なことだ。そう思ったところでドンが戻ってきた。

「あ、えっと…今日は仕事に戻るの?」

「いや。今日はもう上がりだ。書類は明日出す」

「…そ、そうなんだ」

ビールを片手に椅子に座ったドンが、隣の椅子に右肘を掛ける。

赤いラベルのそれをテーブルに置いて書類を眺め、合間に少しずつ口に運ぶ様を見て、チャーリーが気付かれないように深呼吸をした。

それからドンの斜め前の椅子に腰掛ける。

いわゆるお誕生日席だ。緊張を見せながらも、向かいの椅子に座るのではなくすぐ近くの椅子を選ぶところが可愛らしいと思う。
行き場の無い両手を少しだけテーブルに乗せているところも含めて。

しかしチャーリーは何度か視線を泳がせた後、思い切ったようにドンを見つめ、手に力を込めて言った。

「と、え、と、泊まる?」

ひどいどもり様に、私とドンが同時に体を前に傾ける。

「何て言った?」

ドン。よく聞いてくれた。

そこは確認しておいてほしいところだった。
前半のと・え・とが謎過ぎる。

するとチャーリーはボッという擬音でも出そうなくらいに頬を朱に染め、慌てて首を左右に振った。
勢いが良すぎて、癖のある巻き髪がついていけていない。

「ごめん。何でもない。今日は父さんが友達のところに行ってる日だったから。ちょっと確認しておこうと思って。あの、ドンはどうするのかなって…」

「そうなのか?」

「うっ、あ、うん、そうなんだ。父さん、朝まで居なくて。その…
ドン、いつも帰りが遅いから伝えることもないかなって思って…でも今日みたいに早く上がれるんだったら言っておけば良かったよね、そうしたら…」

「そうしたら?」

「っ、あの、2人っきりだし、つまり対策が取れたかなって…」

そこまで聞いた後に、ドンが吹き出した。

気の毒なくらいに動揺しているチャーリーの姿に、私も笑い過ぎて肩が震える。

何だ、対策って。

それは夕飯的な意味でのあれか。それとも自分が兄に対する対策を取れたのにという意味でのそれだろうか。
後者の場合は思っていても口に出すべきではなかった台詞だと思うのだが。

するとドンも同じようなことを思ったのか、口元を抑えながら目を細めてチャーリーを見つめた。

「俺への対策か?」

「えっ?」

「俺と2人だとそんなに緊張するか? …おかしいだろ。時々俺の家に来るくせに」

「あっ…えっ…ちが、そういう意味じゃ」

「どういう意味だよ」

覗き込むように見つめられるとそれ以上言葉が紡げないのか、チャーリーが黙った。

もはや目も合わせられないようで、テーブルの上の自らの指先を見つめている。

しかしドンはそれすらも許さないのか、伸ばした手の平をチャーリーのそれに重ねた。

「!!!!!」

再びびくりと跳ねたチャーリーが、慌ててドンを見上げる。

椅子から数cm浮いたのでは思えるほどの驚きようで、私はまた吹き出すのを堪えた。

「っ、あの、ドッ、ドン、手…」

「手?」

「あのっ、僕の、上に…」

「これか?」

重ねたそれを事も無げに握られると、チャーリーは耐えられないのか頭から湯気を出し言葉とも付かぬ言葉を発した。

喉の奥で笑ったドンにゆっくりと指を絡められ、今すぐにでも卒倒しそうだ。

チャーリーが目に涙を溜めてドンを見つめると、ドンは手を繋いだままビールを煽り、それから再び笑った。

「……離すか?」

「っ! は……離さないっ、で、いいけど…」

「けど?」

「――い、いつもはしないから。こんな… ここで…」

チャーリーが振り絞るように答えを洩らすと、ドンは笑みを深くして、握る手にさらに力を込めたようだった。

本当、そういうところだぞ。

私は再び突っ込みたくなったが、嬉しそうに笑うチャーリーを見ると何も言えなくなった。

以前は弟から一定の距離を取りたがっていたように見えたドンだったが、開き直ってからはこうしてチャーリーに触れて遊ぶことが多くなったように思う。

そうして、チャーリーはそんな兄の変化をどう受け止めているのか、いつも顔を真っ赤にしてあたふたするばかりだ。

昔から彼等を知っている身としては、それはそうだろうな、と思う。

ドンは弟に対してこんな甘い一面を見せる人物では無かったし、チャーリーも兄に対して素直に甘えられるような性格では無かった。

顔を合わせれば言い争いが始まることも多かったし、そもそも顔を合わせるということすら無かった時期も長い。

天才と呼ばれる弟を意図的に避けていたのはドンの方で、チャーリーもそれに気付いていた。
なので彼にとっては兄にうとましがられることが当たり前だったのだ。

それが今やどうだろう。

ドンからは電話も来ればメールも来るし、名前は呼ばれるわ2人きりになるわで、きっとチャーリーのメーターはあっという間に振り切れている。

兄の姿を遠くから眺めて満足していた昔の頃に比べたら、今はドンから与えられるそれらが多すぎてあぷあぷと溺れているのだ。

そうして始末が悪いことに、恐らくドンはそれを分かった上でやっている。
自覚がないままそうしている時も多いだろうが、肝心なところでは外さない。

「……部屋、行くか?」

そう、こういう時だ。

そこから先は見てはいけないと判断して目を閉じたため、これ以上お伝えすることができないことを許してほしい。

私がエプス家の壁として言えることは、「家族仲はきっと、皆が想像しているよりも良い」ということだけだ。

えっ? それで良いの? と思う方も中には居るだろう。
彼等を知る立場として、世間的な意味での関係はこれで良いと思ってるの? と。

しかしそれらを気にしているのは主に人間界の人々であって、我々から見るとまるで問題ではないということをここに示させてもらおう。

だって我々、壁だもの。

最後にブラックジョークをぶち込むとするなら、壁に精液さえ付けなければどうだっていい。

私の名前はwall・the・eppes。

現場からは以上としておく。

—fin—

2022.1.10

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