テレビの画面を見ると、そこにはドンが映っていた。

FBIと大きく書かれたジャケットを着て、ゴーグルを掛けて。

事件解決のすぐ後をカメラに捉えられたせいか、真剣な面持ちで、報道陣の横を通り過ぎる際に片手を挙げてレポーターを制していた。

◇◇◇遠いのは◇◇◇

なんでこの時間帯のニュース番組を録画していなかったんだろう。

僕の後悔はあれから優に300回は超えた。

事件解決の瞬間。
突入劇のすぐ後。
任務を終えてそこから出てきたドンは緊張と安堵を身に纏い、誰よりも格好良かったのに。

不謹慎だけど、あの映像を手元に納めたかった、そして繰り返し何回も見たかったのにと歯痒い思いをする。

僕たちは仕事を通して昔よりも距離が近くなり、最近はさらに彼の傍に居る特権を得たように思っていたけれど。

こうして画面越しに彼の姿を見ると、自分の知らない彼はまだ沢山存在していて、彼との距離が縮まったような気でいたのは気のせいだったのではと自覚させられる。

カメラがドンを抜いたのはほんの1、2分だった。

けれどいつもは僕の名を呼びながら僕の頬に触れる手は泥にまみれていて、優しく僕を包んでくれるはずの胸には黒い斑点が飛んでいた。

普段は目を細めて笑う彼の顔は険しく強張っていて、鋭い眼差しが凄惨な現場であったであろうことを物語る。

どちらのドンも同一人物のはずなのに、あまりにも違いすぎて、自分は一体彼の何を知ったつもりだったのだろうと冷や水を浴びせられる。

時には彼の右腕になった気持ちになり、彼のすべてを分かったような気になっていたけれど、それはきっと間違いで、彼が望まない限り僕と彼の距離はこれから先も縮まることがないのだろうと。

分かっているつもりだったけど、ドンの優しさに時々忘れてしまって、今日みたいに改めてそれを実感した日には落ち込まずにはいられない。

せめて録画に成功して指先で画面をなぞるくらいのことはしたかったのに、それすらも許されなかった時の悲しみはひとしおだ。

僕は300数回目の後悔に苛まれながら、頭の中でドンの映像をリピートして苦い溜め息を付いた。

「……目の前に本物が居るのにそれか。おかしな奴だな」

スーツのジャケットを脱いでネクタイを緩めたドンは、そう言って笑った。

時刻は深夜1時過ぎだ。今日は実家に帰ってこないのかと思ったけれど、玄関のドアが開いて僕は驚いた。

ニュース番組に彼の姿が映っていたのは6時間も前になる。事件の調書もまとめ終わり、とっくにアパートに帰って眠っている頃だとばかり思っていたのに。

僕は動揺をうまく隠せなくて、テレビの前で項垂れていた姿を誤魔化すこともできずに、何があったかを戸惑いながら語った。

画面越しに見たドンがとても格好良かったこと。

それを録画できなかったことを激しく後悔していること。

あれから何時間も経過しているのに、未だに気持ちが晴れないこと。

大変そうな現場に見えたけれど、怪我が無くて良かったという気遣いも添えて。

映像を介して、ドンを遠い存在だと改めて感じたことを報告するのはやめておいた。

きっと彼は怒るし、場合によってはどうすればその距離を埋められるんだと僕に問うだろう。

疲れているときにそんなことで彼の疲労を倍増させたくはない。

それに、僕はそれに適合する答えを今も昔も持っていないんだ。

彼のすべてを知りたいけれど、守秘義務も何もかもを投げ捨てて僕にすべてを教えてくれるドンは最早もはや僕の知っている彼ではない。

だから僕は彼がどんな現場に出ても、どんな目に遭っても、彼がそれを話すことを望まなければただ黙って彼を見ていることしかできない。

それを遠いと評していいのかどうかは、分からないんだけど。

僕は無理矢理口角を上げてドンに微笑んだ。

「……ごめん。変だよね。僕もそう思う。
でも、僕はドンの1番のファンだから。……産まれた時からずっと。
ドンの物なら何でも欲しくてさ。……つい落ち込んじゃうんだよ」

彼がどんな目でこちらを見ているのかを確認するのが怖くて、徐々に俯いてしまい、張り付けた笑みだけが不自然に残る。

本当は寂しいんだと言いそうになる気持ちを、ファンという言葉で誤魔化してどうにか飲み込んだ。

けれどドンはそれを見破るのが本職の人だ。まともに対面したら隠し通せる自信はない。

早くこの場を立ち去りたくて、はやる気持ちのままに言葉を紡いだ。

「あの……疲れてるのにこんな時間にごめん。僕、もう休むから。ドンも早く寝て…」

――すると。

いつの間にか間近に来ていたドンが、力強く僕の腕を掴んだ。

「違うだろ」

「え?」

「この時間に何でここに来たと思う? 誰に会いに来たか分からないのか」

唐突なそれに、一体何を言われているのかが分からなくて。

彼の瞳を見る前に引っ張られて抱き締められ、吐息が肩に掛かり、思ったよりも熱いそれに心臓が跳ねた。

「……っ、あ、の、ドン」

硬直した僕をどう思ったのか、ドンが溜め息と共に笑ったのが耳元で分かる。

僕が口を開く前に、彼の呆れたような声が頭上から降りてきた。

「……お前は本当、数字には強いくせに肝心なところでは鈍いよな。
何が“ファンだから”だよ。そんな奴のためにこんな服装で来る奴が居るか?」

見ろよ、この格好。

そう言って手の力を緩めたドンに促され改めて彼の姿を見ると、なるほど確かにスーツの下のシャツには泥と汗が滲んでいて、所々黒く乾いた血のような跡も付いていた。

画面上では怪我はなさそうに見えたけど、思っていたよりも凄まじい有様に思わず息を呑む。

慌ててドンの顔を見上げると、ドンは再び深い溜め息を吐いて、疲れたように自らの腰に手をやった。

そうして自嘲するような笑みを零して――ついには耐え切れなくなったのか、喉の奥で可笑しさを押し殺すように笑った。

「テレビで見たなら尚更だ。
……俺が何をやって、どれだけ疲れたか分かってるはずなのに、連絡の一つも入れずに心配させるなんてどういう神経してるんだ?
こっちはお前に何かあったのかと思って、休めるわけないだろうが」

「……え…」

「寝てるなら寝顔の一つでも見てやろうと思って来たら、テレビの前に座ってるだろ。
挙句あげく、“録画できなかったことを後悔してる”だなんて、お前なぁ。
前から言いたかったけどな。……お前、俺のこと本当に好きか?
こんな日に仕事以上に疲れさせてくる奴なんてお前ぐらいだぞ」

「えっ………えっ!!??」

次々と明らかになった彼の本音に思わず声を上げると、ドンは再び呆れたように目を細めて、「自覚ないのか?」と笑った。

「ごっ……ごめん。疲れてるだろうから迷惑になると思って。連絡しなくて……。本当は毎日だって会いに行きたいけど、今日は……」

慌てて弁明を始めるものの、責めるような瞳が何を考えているかを物語っていて、徐々に勢いを無くす。

彼がそんな気持ちでここに来てくれていたなんて知らなくて、言われてみれば彼の行動すべてが自分を心配していると物語っていて、耳まで真っ赤になった。

「……ごめん」

すっかり俯いてしまった僕を見てどう思ったのか、ドンが長い溜め息を付いてから再び笑った。

「もういい。お前が無事なら」

彼との距離を遠くに感じ、心配していたのは自分の方だと思っていたけれど、実はドンの方こそそう思っていたと気付いたのは、今日が初めてだった。

僕はこんなにも、こんなにもドンのことが好きなのに、彼にはその片鱗しか伝わってないのかもしれないと思ったら、今までの葛藤は何だったのだろうと絶句してしまう。

もしも行動で愛が示せるとして、今日の愛情の深さを測るとしたら、間違いなくドンの方が上だろう。

僕は嬉しい半面このままでは駄目だと動揺してしまって、どうやったら彼のそれを上回る行動が取れるのだろうと考えた。

彼にこれ以上ないくらいの愛を伝えるにはどうすればいいか。

そうして、悩んだ末にソファーで目を閉じているドンに告げた。

「あの……もし今度銃撃戦があるようなことがあったら、僕を呼んでくれる? ドンの前で盾になるから…」

「邪魔にしかならないだろうが……いいから寝かせてくれ」

テレビの中では険しい顔をしていた兄が、こちらを見て笑った。

---fin---

2022.2.16

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